9条が輝く日本をめざして

                        安藤晴美

 今から5年前の2004年6月10日に、井上ひさしさんや大江健三郎さん、澤地久枝さんら九名による「9条の会」ができました。2004年というと、第二次小泉内閣の時で、靖国参拝も繰り返し行いマスコミからも批判の声が上がっていました。当時(2005年)の日本経済新聞の記事を見ると「靖国神社は戦死したわけでもないA級戦犯を合所して『大東亜戦争肯定論』の立場をとっている。国を代表する首相がこうした神社を参拝すれば、あの悲惨な敗戦のけじめがあいまいになり、諸外国との信頼関係を大きく損なうことになる」と批判しています。隣に併設されている遊就館に私も行ってみましたが、戦争時代に引き戻されたような展示品の数々でした。掲示された説明文は、日本の犯した侵略戦争を美化するものでした。このことについては外国からも批判の声が上がりました。こうした状況と平行するように、憲法改悪の動きは一層激しくなっていきました。
 そんな時の9条の会の結成であり、9条を守る運動を草の根から創っていこうと呼びかけられたのでした。
 私は、この呼びかけに応えていくことで、歴史を前に進める力になればと考えました。当時、弘前市議会議員三期目を務めていた時で、それまで一人の女性議員でしたが、三期目で初めて3人の女性議員が誕生したのです。社民党の加藤とし子さん、無所属の石岡千鶴子さんのお2人が加わりました。同じ女性議員でも、あまりお話もしたことがなかったのですが、平和を守る運動を一緒にしませんかと、女性9条の会をつくる呼びかけをしました。
 市役所にビデオを見る場所はないか議会事務局に調べてもらうと、観光課にある事が分かり、貸して頂けると言うことでしたので、9条の会の結成時の9人の方々の発言を納めたビデオを市役所の一角をお借りして、3人で見ることになりました。
 9人の訴えにお二人とも共鳴して下さり、津軽地区の女性の医師、大学教員、著名人、友人、知人、新日本婦人の会、社民党の女性組織など数百名の方々に呼びかけて、私たちの「憲法9条つがる女性の会」の発足となりました。
 2004年10月10日に記念すべき結成集会が開かれました。集会の第一部では呼びかけ人3人の挨拶から始まり、「9条の会」発足記念講演会ビデオより「井上ひさしさん、三木睦子さんの挨拶」、劇団弘演の女優作間博子さんによる「津軽弁で憲法を語る」、社民党の元浪岡町会議員の三上明子さんによるお話「憲法の大切さを語る」がありました。第二部の総会で、私たち三人が代表になりました。しかし、数年後に石岡千鶴子さんが代表を辞退したため、現在は市会議員の加藤さんと今は県会議員になっている私の2人が代表を務めています。
 これまで川越誠子事務局長がしっかり支えて下さっているので、安心して運動を進めてこれたのだと思います。
 この5年間を振り返って、私たちの取組をご紹介させて頂きます。
 「憲法9条を知る集い」を2004年から5年にかけて弘前市、尾上町、相馬村、岩木町(いずれも合併前)で2回の合わせて五回、地元の賛同者の方々の協力を得て行ってきました。
 2005年1月10日「成人の日リレートーク」、4月30日「お花見平和アピール行動」、8月1日「ねぶた平和アピール行動」と街頭で一文字パネルを持って、みんなが並ぶと「憲法9条を守ろう」となり、楽しく道行く人達に訴えました。
 2006年3月7日は佐藤初女さん、澤田サタさんをお迎えして、青森大空襲の経験や報道カメラマンであった夫澤田教一氏について、それぞれ語って頂いた「春を呼ぶつどい」。会場の百石町展示館は、用意しておいた資料が足りなくなるほど満杯になりました。
 地元のタウン誌で紹介して下さっていたと言うことも後から知りました。
 7月16日は海老名香葉子さんの戦争体験をもとに作られた映画「あした天気にな〜れ!」の上映会。実行委員会を作り、半年くらいの準備をかけて取り組みました。実行委員の方々の熱心な取り組みで、成功裏に終えることができました。
 10月20日は2周年のつどい「シャンソンの調べ 秋田漣」。会場となった駅前市民ホールは満杯になりました。素敵な漣さんの歌声に酔いしれました。この企画に参加して、初めて弘前のシャンソン歌手「秋田漣さん」を知ったと言う方も多く、このコンサートで、すっかりファンになった方もありました。漣さんの平和への思いも語って頂きながらの素敵な取り組みとなりました。
 数日後の10月25日に、もみじまつりアピール行動も行いました。
 2007年7月7日の「七夕まつりアピール行動」では、笹飾りも用意し、平和の願いを短冊にしたためました。
 10月6日は「レゲエミュージックと戦争体験を聞く夕べ」。ここでは、音楽活動をしていたわが家の4男とその友人とで前段にレゲエミュージックを披露してくれ、その後彼たちが司会を務め、野村けい子さんから青森大空襲の話、長内一二三さんからロシア抑留の話などを聞かせてもらいました。
 2008年4月26日、恒例となった「さくらまつりアピール行動」を桜大通りの桜の下で行いました。
 10月22日から23日にかけて中学生のための慰安婦展「慰安婦ってなあに」を開催。東京の「女たちの戦争と平和資料館」からお借りしたパネルの展示で行いましたが、同時に上映した「女性国際戦犯法廷沈黙の歴史を破って」とあわせ、大きな反響がありました。
 そして、今年です。春のアピール行動は天気に左右されてできませんでした。
 2009年10月18日に5周年記念講演会開催。「憲法9条と青森県の米軍基地の実態-青森県は米軍の最前線ー」と題して東奥日報編集委員の斉藤光政氏に講演をお願いしました。つがる市に配備されたXバンドレーダー、パトリオット、むつ市に警戒管制レーダーFPS11XX、米軍三沢基地に弾道ミサイル情報処理システムJTAGS、この三点セットを配備し、北朝鮮や中国を仮想敵として、ミサイルが打ち上げられた時に迎撃するという体制は、日本の中でも青森だけという、戦争体制に組み込まれた恐ろしい実態に、私達は目を覚まさなくてはならないと改めて自覚させられました。
 これまで私達ばかりでなく、全国の、また県内あるいは弘前市内の、たくさんの皆さんが、同じ気持ちで9条の会をたちあげ、豊かな活動を発展させています。こうした地道な運動が、「政治の世界に大激震を与えました。8月の衆議院選挙で民主党中心の新政権が誕生したのです。1955年の自由民主党結党以来、10ヶ月余の「非自民政権」時代を除けば、政権交替は初めてです。民主党政権がこの先、国民の立場に立った政策を進めることが出来るのか、大いに注目し、国民の声と運動で憲法を守らせること、沖縄の普天間基地を返還させることなど、これまでの9条守れの運動をさらに強めて、立ち向かっていきたいと考えています。             
(「弘前民主文学」135、2009年12月15日)