<評論>

       
原発ゼロの日本を

                    安藤晴美

  福島原発事故から私たちは大きな教訓を得ることになりました。ひとたび原発の事故が起これば放射能による空間的・時間的・社会的に大きな被害がおよび、その収束を図る手立てを人間は持ち合わせていないということを。そして、除染を進めることに国や自治体がたじろいでいることを。
 事故を起こした張本人である東京電力は、この事故を想定外の津波によって起きた事故だと繰り返し強調してきました。しかし、国会事故調査報告書は、事故原因の解明を通じて東京電力による「『想定外』の津波による事故」という主張は誤りであり、今回の事態が自然災害でなく、明白に人災だと認定しました。また、福島第一原発1号機の非常用ディーゼル発電機は、津波によって損傷する前に、地震によって損傷した可能性が否定できない事、地震動による原発プラントの破損と、それによるLOCA(冷却材喪失事故)発生の可能性についても分析しています。
 この間、「原発ゼロ」の日本を願う世論と運動が大きく広がる中で、政府・民主党も、「過半の国民は原発に依存しない社会の実現を望んでいる」と認めざるを得なくなりました。ところが野田内閣の関係閣僚がまとめた「革新的エネルギー・環境戦略」は、「原発ゼロ」を口にしながら、その実現を先送りし、原発に固執するものとなりました。「2030年代に原発ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」といいながら、使用済み核燃料の再処理を継続し、新たな核燃料をつくり出すという矛盾した姿勢を示したのです。そして、中断している原発建設の再開まで公言するに至り、この戦略を受け電源開発(株)(J-POWER)が早速大間原発の建設再開を打ち出しました。もし大間原発が建設し稼働すると、2030年代どころか2050年代まで稼働することになってしまいます。10月5日に開かれた県議会原子力エネルギー対策特別委員会に参考人として出席した高原一郎経済産業省資源エネルギー庁長官は、「2030年代に入っても大間原発をその時点で止めることはありえない。」と断言しました。2030年代の原発ゼロさえも口先だけだという事がはっきりしました。大間原発は、再処理工場で取り出したプルトニウムを加工したMOX燃料だけを使う世界でまだ経験したことのない大変危険な原発です。しかも、ここで発生する使用済み核燃料は、再び再処理するという計画になっていますが、新たな再処理工場をどこにいつ造るのかなど全く白紙で、これから検討するとしています。六ヶ所再処理工場で発生する高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)の最終処分場が、全く見通しがつかないことと同じように、ここでも、フルMOX使用済み核燃料の行き場がないまま見切り発車すること自体許されないことです。原発防災指針の重点域30キロ圏内に入る函館市を初め北海道で、もしもの事故が起きた時、放射能汚染が心配と大間原発建設再開反対の大きな運動が広がっています。地元大間町でも、1億円積まれても土地を売らずに頑張った地権者故熊谷あさ子さんの遺志を継いで頑張る娘・小笠原厚子さんが、原発建設現場の隣接地に立つログハウスで数々のいやがらせにもめげず、反原発の砦にして頑張っています。
 政府が掲げた2030年代に原発ゼロにするという「革新的エネルギー・環境戦略」は、財界やアメリカからの圧力で、閣議決定することができませんでした。今、日本で動いている原発は2基だけです。多くの国民が再稼働反対の声を出したにもかかわらず、これを無視して動かした大飯原発の3、4号機です。しかし、ここで注目すべきことは、文字通り「原発ゼロ」でも今年の猛暑を乗り切ることが出来たということです。関西電力は大飯原発を7月9 日にフル稼働させ、同日に火力発電所8 基を停止させたのです。このことは大飯原発を含めすべての原発が動かなくても、この暑い夏を乗り切れたことになります。ちなみに東北電力では、どうだったでしょうか。東北全体で使用電力のピークが8月29日12時台1280万`hだったのに対し、供給力は1467万`hで、予備率14.6%でした。
 原発ゼロにし、火力発電はあくまでも過渡的な緊急避難措置(5〜10年)とし、その間に原発分のエネルギーを再生可能エネルギーと低エネルギー社会への取組で確保する、日本共産党が提唱するそんな社会をぜひとも作っていきたいと考えます。
 福島で起きた原発事故による避難者16万人のうち6万人が県外へ避難し、故郷を離れた生活を余儀なくされています。ここ青森県にも649人が避難し、苦難な日々を強いられています。今後、福島県民のうち36万人の未成年者の健康調査が進められます。私は先日、福島で行われた原発問題全国交流集会に参加し、1日目に実施された見学で「日本で一番美しい村」の一つである飯舘村に行ってきました。事故直後は原発周辺から避難してきた人たちを村をあげて受け入れて来たのに、風向きによって高濃度の放射性物質に汚染されていることが判明し、8月に全村避難となった村です。田畑は草で覆われ、家も店も人一人いない光景に胸が痛みました。一度原発事故が起きれば人間の力で放射線を制御できず、普通の暮らしも豊かな農業や畜産業も奪われるその現実を目の当たりにしたのです。除染も一部しか進んでいませんでした。  
 大飯原発再稼動反対官邸前金曜日行動は、7月には最高時20万人を超え、16日に開かれた「さよなら原発10万人集会」に17万人、29日の「国会包囲行動」に20万人が結集しました。さらに、政府が進めてきた今後のエネルギー政策をめぐる全国11都市で実施した意見聴取会では、意見表明希望者の約7割が原発依存度0 %を選び、討論型世論調査では、調査開始時と討論前後の3回のアンケートで、原発比率「0%」への支持が33%から47%に増加しました。この様な状況下で私は、2012年の9月議会で知事に一般質問をしました。原子力発電に対する見解について知事は、
 「私は、安全なくして原子力なし、との思いの元、二度と同じような事故を起こさないために国に対し事故原因の検証結果等を踏まえ、安全基準を徹底的に見直すと共に最新の知見を安全対策に反映していくことについて、原子力発電関係団体協議会等を通じ、要請をしてきた。エネルギーの安定供給や水・食糧・防衛等と共に国家安全保障上極めて重要な課題であり、地球温暖化に対する観点から脱化石燃料と低炭素社会の実現が求められている事を踏まえると、原子力・火力・再生可能エネルギーなどのベストミックスを図っていくことが必要であると考えている。国民生活、あるいは産業経済を守るためにエネルギーの安定供給を果たしていくこと、そして原子力施設の安全性をより一層高め安全性に対する国民の不安を減らして行くことこそが国の責務である。」と、原発にあくまで固執する姿勢を示しました。
 又、原発ゼロを求める世論についてエネルギー総合対策局長が「今回の戦略決定のプロセスの中で、政府が実施した国民的議論については多くの国民が原発に依存しない社会を望んでいる一方で、その現実に向けた時間軸は様々な意見があったものと受け止めている。広く各界・各層の国民の意見を把握する手法としては十分であったのか、さらに検証が必要であると考えている。県としては今後、国がエネルギー政策を進めるにあたっては国民生活や産業・経済、さらには国際社会の影響などに配慮しつつ立地地域などの意見を十分踏まえて責任ある対応をして頂きたい。」と答えました。原発ゼロを求める声の集約に問題があると言わんばかりで、これまで原発・核燃推進に手を貸してきた青森県の声を聞けと主張する傲慢さが見えました。また、原発ゼロを打ち出している中での核燃サイクル推進についての矛盾については、「革新的エネルギー環境戦略においては、引き続き従来の方針に従い再処理事業に取り組むとされ、枝野経済産業大臣からも今回核燃サイクル政策について、何らの変更をしたものではなく、核燃料サイクルの政策的意義・必要性は変わらない。国が責任を持ってプルサーマルを引き続き進めていく旨の発言があった。県としては今後とも、国において核燃サイクル政策の継続にあたっては原子力発電の位置づけ・再処理事業の意義・必要性を確認した上でプルトニウム利用の推進・方策などについて具体的な方針を示して頂きたいと考えている」と答えました。核燃サイクル政策推進を熱望する姿勢で、ガラス固化体の最終処分場計画も遅々として進まない中、すでに破綻している核燃サイクル政策にしがみつく県の姿は残念でなりません。
 原発を動かす限り、使用済み核燃料は増え続けます。この使用済み核燃料が、原料として使ったウラン鉱石の放射能レベルに下がるまでに数万年、無害となるまでにはさらに膨大な時間がかかるという、全く処理方法のない「核のゴミ」を増やさないためにも、「原発ゼロ」こそが最良の選択であり、未来に生きる人類への最大のプレゼントだと考えます。
 今後、原発ゼロ実現・核燃サイクル政策からの撤退のために、運動と世論をさらに強めそして、国政はもちろん県政で原発・核燃推進派を追いつめる事が何より重要ではないでしょうか。
             (「弘前民主文学」145、2012年12月15日)