はばたけ星史 (前編)

                       安藤晴美

 星史毎日元気にやっていますか。今年の春、それまでの仕事をやめ幾つかの免許をとり。これからどういう道を選択するんだろうかと心配していた所、突然大阪に行くと言って、兄のアパートに移り住んで4ヶ月がたちました。
 どうやら現在アルバイトをしながら独り立ちしているので安心はしていますが、この先自分でこれだと言える仕事に巡り会い、しかもそれが正規の仕事で、労働者として保障された仕事につけるよう心から願っています。現実はきびしく、それがどんなに難しいことかということは百も承知ですけどね。でも、少しでも自分の納得いく人生が歩めるよう頑張ってほしいと思っています。アルバイトをしながらの仕事探しは大変だろうけれど頑張って下さいね。
 星史は、この間の誕生日で24歳になったんですよね。おめでとう。本当にはやいものですね。
 夫婦と3人の男の子の5人家族で関東から弘前に引っ越してきて、どうやら北国の生活に慣れ、2年半の年月が流れた頃、新しい家族としてあなたが生まれてきました。少し体力が落ちた32歳になってからの出産でしたので、4人目とはいえ陣痛に絶え、全身で産み出すのは大変でした。朝の5時9分。無事産まれてきたときは本当にほっとしました。そして、4人の出産の中で初めての経験でしたが、産んだ直後タオルに包まれた赤ちゃんを横たわっている私の所に連れてきてくれて、ずっと胸に抱かせてくれました。さっきまでお腹の中にいた赤ちゃんが安心しきって私の胸に抱かれている時の感動と満たされた思いは一生忘れることができません。元気に生まれてきてくれたことにただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。男の子であろうが女の子であろうが命の誕生に対する愛おしさは計り知れないものがあります。
 ところで、夜中から病院で出産の知らせを待っていてくれたあなたのお父さんは、看護師さんに「おめでとうございます。男のお子さんですよ。」と言われ赤ちゃんと初対面したそうです。あなたのお父さんは「ありがとうございます。」とお礼を言ったものの、少し複雑な心境だったそうです。看護師さんは4人目の男の子ということを知らなかったことでしょう。
 私たちは、子どもを育てるのにどれだけのお金がかかるから何人の子にしておこうというより、何よりも兄弟もまれながら育ち合うことが子どもたちにとっての一番の財産だという思いから、子どもは4人つくろうと決めていました。お金なんか全くないのにね。でも、そうして生まれてきた待望の子だったので私は、男の子でも心底嬉しかったです。でもね、大分から家事や子どもたちの世話などの手伝いに来てくれていたあなたの父方のおばあちゃんは、4人目も男の子だったので、私のことをかわいそうだと思い病院にはなかなか行けなかったとずっと後で教えてくれました。そんなことないのにね。
 出産後も順調に経過して確か4日足らずで退院しました。2歳、5歳、7歳のお兄ちゃんたちは新しく生まれた弟とお母さんが帰ってきたので、大はしゃぎでした。夕飯の時皆でささやかなお祝いをしてくれました。一安心したあなたのお父さんはお酒を口にしていました。私もほっとして食事をしました。喜びに満ちたひとときでした。
 私の身体に異変が生じ腹部に違和感を覚えトイレに駆け込んだのは間もなくしてからでした。するとそこでびっくりすることが起きました。出血し、まるでレバーのかたまりのようなものがごろんごろんと落ちてきたのです。「助けてー」と叫んでいました。 驚いたあなたのお父さんは、タクシーを呼んで気が動転している私を病院へ連れて行ってくれました。生まれたばかりの赤ん坊を含め幼い孫たちを一人で面倒見ることになったおばあちゃんもさぞかし大変だったことでしょうね。病院の玄関に着きタクシーを降りたところでまた、大出血を起こし、私は車椅子に乗せられ病棟に運ばれました。
 簡易ベットに寝かされ、急きょ輸血も施されました。多分この時血液凝固剤も使われたと思われます。最近、騒がれているあの薬害C型肝炎です。数ヶ月前感染について心配し調べた結果マイナスと出たので安心しました。
 私は、その時自分の身体がどうなるのだろうという心配よりも、生まれて4日しかたっていない我が子と離ればなれになったことが、悲しくて心配で涙が止まりませんでした。 人生であの時ほどたくさんの涙が出た時はありません。タオルがびっしょりになりました。心配した看護師さんが、電話の所にベットを動かし電話をかけさせてくれました。そして、うちの様子を聞くことができました。すでに、家に戻っていたあなたのお父さんが電話先で「大丈夫。ミルクも買ってきて今から飲ますから。」と心配かけまいと答えてくれました。
 その晩、涙にくれる様子を心配した病院のスタッフの皆さんが、一旦退院した新生児を何事もないのに再入院させるのは、面倒なことの様だったのだけれど、個室に私と一緒に再入院させてもらうことができたのです。私は、それでやっと精神状態が安定し、治療を受けることに専念することができました。
 結局、あなたと共に更に2週間ほど入院して様態が落ち着き退院することができたのです。
 それからまもなく、おばあちゃんも帰り、夫婦2人で行う4人の子育てが始まりました。星史という名前となったあなたは、3人のお兄ちゃんがとてもかわいがってくれ、上の子の時もそうでしたが、あなたのお父さんは沐浴から家事全般を担ってくれて助けてくれました。
 生後一ヶ月の時、あなたは便の回数が多すぎることから母乳を消化できないのが原因かもしれないと、大豆で作られたミルクを飲ませるように指導されたり、涙腺が詰まる目の病気にかかっていることがわかり、涙腺に細い管を通す治療を行うために眼科に通いました。痛かったのでしょう、いつも小さなからだをいっぱい振るわせて大泣きしていました。
 という状態で、4人目の愛おしい命の誕生は苦しいことの連続でもありました。
(「弘前民主文学」132、2008年8月15日)