許せない橋下「慰安婦」発言
       〜大阪市長の資格なし〜

      
 6月30日に行われた東京都議会議員選挙は、歴史が動いたと感じる結果となりました。自民党と対決する日本共産党が8議席から17議席となり、目標としていた議案提案権を持つことができる11議席を大きく上回ることができました。その一方で、今回の選挙が初参戦となった日本維新の会がふるわず34人を公認したにもかかわらず、当選したのはわずか2人という結果となりました。橋下徹共同代表の「慰安婦」「風俗」発言が影響したのは、明白です。橋下徹日本維新の会共同代表がどんな発言をしたのか。記憶にとどめておくためにも正確に記しておきたいと思います。

 2013年5月13日大阪市役所で記者団に行った発言です。「あれだけ銃弾が雨・嵐のごとく飛び交う中で、命を懸けて走っていく時に、猛者集団、精神的に高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度というものが必要なのは誰だって分かる。」「今のところは、軍自体が、日本政府自体が暴行、脅迫をして女性を拉致したという事実は証拠に裏付けられていない。そこはしっかり言っていかなければいけない。ただ、意に反して慰安婦になった方に対しては、配慮はしなければいけない。」この発言を受けて再び同日に、記者から取材を受け「慰安婦制度は必要だった。軍の規律を維持するためには、当時は必要だった。」「歴史をひも解いたら、いろいろな戦争で、勝った側が負けた側の方をレイプするという事実は山ほどある。そういうのを抑えていくためには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったということも厳然たる事実だと思う。」「(沖縄県宜野湾市の)米軍普天間飛行場に行った時、司令官にもっと風俗業を活用してほしいと言った。司令官は凍り付いたように苦笑いになってしまって。性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にはあるわけだから。」

 この暴言に、日本中いや世界中が衝撃を受けたわけです。衝撃というより呆れかえり、怒りが爆発したのです。こうした国内外の反応に対し、橋下共同代表は謝罪・撤回するどころか、記者のせいにしたり、「全体を聞いてもらえば真意が分かるはず」と開き直る始末でした。橋下共同代表が大阪市長でもあることから、日本共産党の山中智子市議が大阪市議会で6月28日に、暴言の撤回と謝罪を迫り、市長の辞任を求めたそうです。そして、その質問の際、「5月13日の暴言以降の1ヶ月で市には電話やファックス、来庁による抗議文書提出など9100件超の意見が寄せられ、発言の撤回や謝罪などを求める地方議会は30を越えている。この批判をどう受け止めているのか」とただしたのです。しかし、橋下市長は「発言の真意が伝わっていない」「全体を聞いてもらえば納得してもらえる」と、相変わらずの答弁に終始したそうです。市民の幸せを願い、女性の人権を守るべき立場の市長でありながら、今も続く元慰安婦の方々の苦しみに寄り添うことができない最悪の市長といえるのではないでしょうか。市長は辞任すべきです。

 私も、青森県議会の3人の女性県議が中心になって、青森からも怒りの声をあげられないだろうかと、同じ津軽地域選出の女性議員に相談してみました。しばらく返事が来ず、結局6月の半ばにはいって、協力関係にある元衆議院予定候補者が日本維新の会でもあることから表だったことはできないとの返事でした。残念でした。7月4日公示21日投票でたたかわれる参議院選挙は、日本維新の会が再び打撃を受ける結果となるよう、そして、慰安婦問題と根が1つの憲法改正・歴史認識で問われなければならない自民党が圧勝することのないよう願うばかりです。

 私が、慰安婦問題に目を向けるきっかけとなったのは、1992年に日朝協会埼玉県連合会が刊行した証言「朝鮮人従軍慰安婦」第一集を読んだことからです。しんぶん赤旗に小さく載った紹介記事で知り、早速取り寄せたのでした。その後も、証言「従軍慰安婦」第2集、証言「従軍慰安婦」ダイヤル110番の記録が刊行され、それらも取り寄せ、初めて知った事実を食い入るように読みました。すべてが、当時の体験と証言に基づいたもので、慰安婦を利用した日本兵からのものも多数ありました。このままでは死にきれないと書かれていました。ほとんどの女性たちがだまされて慰安婦にさせられたこと。軍の関与があったこと。つらい悲しい証言がいっぱいでした。「私は、犬畜生にも劣る生活を強いられました」との訴えが、極限生活を物語っています。私は、この証言集が原点となり色々な機会に「慰安婦問題」を学んできました。

 「慰安婦」にさせられ屈辱的な扱いをされた女性の方々の思いに立ったとき、今回の維新の会橋下共同代表の暴言は絶対に許せないのです。
(漢数字を算用数字に変えています。.「弘前民主文学」147.2013年8月15日)