ひとつのジャンプ
                       
安藤晴美

 窓から冷たい風が吹き込んでくる。高田美春はジャンバーを着たまま慣れない手つきで2階の窓から身を乗りだし、下から持ってきた柄の長いスコップで、玄関上の屋根に降り積もった雪を懸命に下ろし始めた。
 美春は、関東出身で雪深い中での生活は、ここ弘前に来て初めての経験だ。弘前に来て七年になるが官舎住まいのため、冬の雪かきは同じ階段を利用する10世帯が順番に行う程度なのでたかが知れている。ましてやつららの出来る暮らしは体験がない。
 開けた窓から見える隣の空き地にも、その向こうの二階建ての大きな家の屋根にも一メートル近く雪が積もっている。裏の文化センターの塀沿いには、おもちゃの兵隊の長い帽子のように刈り込まれたシノブヒバが一列に植えられ、その木のてっぺんに20センチ程の雪が帽子のように積もり、木の側面には粉砂糖のような雪が降りかかり、まるでケーキの上の飾りのように見える。雪は止んでいるが空は相変わらずどんよりしている。
 二月に入り毎日雪が降り続き、津軽の冬の厳しさが身に染みた。美春は、新婦人弘前支部の事務局長として支部の事務所に月曜日から金曜日までの五日間午前十時から午後四時まで出勤している。
 
 美春は、一九八〇年四月に夫の転勤で弘前に引っ越してきた。夫婦と五歳の長男淳平、三歳の次男理介、生後三ヶ月の三男亮太の五人家族でやってきた。
 引っ越して二ヶ月程した頃、カッコウのさえずる声を聴きながら創平を寝かせ付け部屋の片づけをしていた時に、水上綾子と後藤須美子が新婦人の加入を勧めに訪れた。二人とは初対面だったが夫の職場であるH大学の先輩の奥さんが、新婦人を紹介したいと言っていることを夫伝に聞いていた。
 「こんにちは。新婦人のことでお話に来ました」
 「ああそうですか。夫からちょっと話は聞いていました」
 「はじめまして」
 「ここでは、狭いのでどうぞお入り下さい」
 「お邪魔します」
 居間のテーブルには椅子が四つと子ども用の椅子が一つセットされていた。テーブルの上には、昨日淳平と理介が官舎の外から摘んできたタンポポが無造作にコップにさして飾られていた。
 水上綾子と後藤須美子は、部屋の様子を見ながらサイドボードをバックに座った。南側に面した窓からレースのカーテン越しに官舎の人たちが止める駐車スペースと五〇bくらい先に隣接する住宅街が見えていた。
 美春がお茶を入れ、茶托にのせた湯飲み茶碗を二人の前に置いた。湯気が上がった。
 水上綾子がきりっとした口調で話し始めた。
「私たち新婦人弘前支部の支部委員をしています。ここ弘前でも新婦人のお母さんたちが、子どもの文化を守ろうと映画の上映運動をしたり、保育所づくりなどに頑張ってきました。子どもを育てるためには、お母さんにも仲間が必要だと思うの。ぜひ新婦人に入って子どもが元気に成長できるよう子育て環境を良くする活動を一緒にしませんか。」
 福子は、これからの自分の生き方をどうするか。働きたいと思っていたがやっと五ヶ月になったという子がいては難しいだろうなと、考えあぐねていた時でもあった。
「前に勤めていた職場の仲間から新婦人しんぶんを勧められ、半年間程取ってはいたんですけど、引っ越して来てしまったので会のことはよく分からないんです。」
 水上は続けて言った。
「新婦人はね、一九六二年に婦人運動家の平塚らいてうさんや童画家のいわさきちひろさんたちのよびかけで結成され、核戦争の危険から女性と子どもの生命を守ること、 憲法改悪に反対、軍国主義復活を阻止、女性の権利、子どもの幸せのために力を合わせるという目的で、全国の女性が一つになって頑張っている女性団体なんです。女性やこどもの幸せのためにぜひ一緒にに力を合わせましょう。」
水上綾子の隣に遠慮がちに座っていた後藤須美子が、きれいなカラーのリーフレットを手提げ袋から取り出し、福子の方へ差し出しながら
「楽しいよ。この近くにチュウリップ班というのがあってみんないい人たちだよ。」
 とにこにこしながら言った。
 美春は、引っ越して来る前まで公立の保育園に一〇年間勤めその間、保育園分会の書記長の経験もしてきた。子どもたちの幸せと母親と保母の働く権利をどう守るかと言うことに力を注いできた。だから、会の目的は胸にすとんと落ちた。
「そうですね。まだ生まれたばかりの子がいるので何が出来るか分からないけれど、友達もほしいし仲間に入ってみようかな。」
 と、リーフレットのちひろの赤ちゃんの挿絵を見ながら答えた。
 
 新婦人の活動は、それまでの美春の暮らしに新しい風を吹き込んだ。特に美春が加わったチューリップ班の女性たちは、多くが同年配の子育て中の主婦で構成され、月一回の班会は手作りのお菓子が並び楽しく意見交換をし、時には子ども連れで近くの山へピクニックに行ったり、山菜取りに出かけたりそれまでの福子の暮らしとは別世界のようだった。
 そのうち福子は頼まれて、新婦人弘前支部の支部委員をやるようになった。そしてご近所の小さな子どもを持つお母さんを誘い、近くにオープンした児童センターを会場に新婦人親子リズム教室を開き、仲間をたくさん作っていった。特に冬場幼稚園や保育園入園前の子どもは家で過ごすことが多く、思いっきり身体を動かせる場を作ってあげたいとの思いから始めたのだった。美春自身も、幼い我が子の成長を新婦人の活動を通して、大勢の子どもの中で見守ることが出来た。新婦人弘前支部に新しく作った親子リズム教室は、新婦人が提起していた小組活動とも連動して県内外からも注目され、全国大会に出席し発言もしてきた。
 そんな活動の発展を見込まれて事務局長になってほしいとの要請が来るようになった。しかし、弘前の生活にも慣れ二年半ほどして、四番目の哲郎を出産した為すぐに受けることはできなかった。哲郎が1歳になった頃、支部長の村田伸子が少し遠慮しながら
 「若い人たちの力が必要なの。哲郎君を連れて来ても良いから事務局長引き受けてくれない」
 仕事と言っても十分なお金が支払われるわけではない、ボランティアに毛がはいたようなものだから引き受けてがいなのだろうと察しがついた。
 申し訳ないと思いながら美春は答えた。 
 「一番下の子が、幼稚園か保育園に入ったら考えます。このことは夫とも相談して決めました」
 と返事した。

 弘前に来て七年目の春、一番下の息子哲郎が兄たちが通っていた私立北幼稚園に三年保育で入園した。できれば保育園に入れたかったが、保育料のことを考えたら幼稚園を選ばざるをえなかった。
 この時長男は地元の弘前市立松林小学校六年生、次男が小学四年生、三男が一年生となり、美春が久しぶりに定時に出勤する生活が始まった。朝六時半子どもたちを起こし、学校に送りだすまでは大変な騒ぎだった。しかし、いつもFMラジオから流れていたクラッシックが心地よく心に響いていた。
 ご飯を食べ、歯磨きを終えた子どもたちに美春が確認する。
 「ハンカチと箸とナプキン持った。今日はご飯を持っていく日だよ。お弁当忘れないでね」
 上の二人は、テーブルに置かれた弁当と箸とナプキンが入った袋をカバンに入れ
 「行ってきまーす」
 と言って、ランドセルをしょいながら玄関に飛び出していく。
 「待って。亮平をちゃんと連れて行って」
 と、カバンにゆっくり詰める亮太の姿を見ながら美春が叫ぶ。
 「早く来い。置いていくよ。」
 と淳平と理介が靴を履きながら亮太を呼ぶ。黄色い帽子を被った亮太が靴を履き3人揃って
 「いってきまーす」と言いながら官舎の階段を駆け下りていく。
 「いってらっしゃーい」
 と夫の文夫と美春が送り出す。
 パンをかじりながら哲郎は、北側の二階の窓から
 「じゅんぺい。りすけ。りょうた。いってらっしゃーい」
と大きな声で見送った。そして、それから間もなく早いコースの為、八時になると幼稚園の送迎バスが迎えに来てくれて、哲郎をそれに乗せ送り出した。その後美春は夫の文夫と協力して洗濯、台所の片づけを行い、化粧を簡単に済ませ身支度をしてから出かけた。雪が降る季節までは、自転車で四〇分程走り事務所に出向いた。
 
 新婦人の事務局長になって初めての冬を迎えた。交通手段はバスに替わった。新婦人の事務所まで、歩きやバスを待つ時間も含めれば小一時間はかかる。バスを降り三分ほどの場所に事務所はある。すぐ近くに弘前公園があり、事務所の裏は文化センターとなっており弘前の町の一等地である。二月に入り、お堀の外側に植えられた桜の木も、公園の中にそびえ立つ松の木も雪が重たそうに被さっていた。除雪された道路から事務所の玄関まで幅二b奥行き二〇bくらいの私道を通らなければならない。私は、両脇に雪が積まれ人一人が歩けるほどの狭さになっている道の雪を黄色い長靴でそっと踏み固めながら事務所にたどり着いた。部屋は氷点下の寒さだ。美春は、手袋を外しジャンパーを着たまま、1階のストーブに火を付け、台所に行き締めてあった水道管を開け、伏せてあるポットに水を入れ、部屋に持っていきいつもの場所にセットしコンセントをつないだ。そして、玄関に出て又長靴を履き、手袋をはめてしっかり戸を閉め、私道の除雪にとりかかった。こんもり積もった雪をスコップでさらに両脇に積み上げていくのだ。一〇分くらいで終え、事務所の仕事にとりかかろうと思ったが、玄関の屋根に積もった雪が気になって仕方がなかった。
 この雪がすべり落ち、事務所に来た人に直撃したら大変だと思ったのだ。屋根に積もった雪は下の方はすっかり氷となり、それらが長く太い先のとがったつらら状となって軒先からぶら下がっていた。美春はまず下からスコップで、先のとがった剣の様になったつららをたたき割った。しかし、上から半分くらいは、そのまましぶとく残っている。
 今度はスコップを持って2階に上がり、玄関の上の窓を開け、三角屋根の上に積もった雪を下ろし出した。容易ではない大仕事だった。よほど屋根の上にのって本格的に雪下ろしをしたいという衝動にかられたが、地面に落下したら大変とあきらめた。窓を閉め下に降りた。渋い玄関の引き戸を力を込めて左にすべらせやっと開けると、目の前には、上から落とされた雪が1メートルくらいの山になっていた。ああ、落とせば終わりではないのだ。この雪を片づけなければ訪れてくる人が玄関に入れない。私は、すでに汗だくになっていたためジャンバーを脱ぎタオルで汗を拭き、身体をくねらせやっとの思いで落下の雪で出来た雪山の向こうに出て、その山の片づけを始めた。
 美春は、両手でスノーダンプの横棒をつかみまるでショベルカーの様な鉄製の除雪用具に足を掛け「よいっしょ」と雪を積み、隣の空き地の雪山までソリの様にして運んで行くのだ。そんな繰り返しをしながらふと昨夜のことを思い出していた。

 夕食の支度をしていると時に三男の亮太と四男の哲郎が泣いて狭い台所に逃げてきた。亮太は泣きながら言った。
「淳平兄ちゃんが思いっきり叩いた」
 六年生になった長男の淳平は、四年生から野球部に入り懸命に頑張っていた。勉強もきまじめに頑張っていた。
 美春はエプロンで手を拭きながら居間続きの北側に面した淳平達の部屋に行き、
「どうしていじめるの。謝りなさい」
と大きな声で詰め寄った。すると淳平は
「うるさい。あっちに行ってよ。亮太と哲郎がうるさいから注意しただけでしょ。もう、兄弟が多いから勉強も集中出来ないんだから。ほしいものも買ってもらえないし」
と反抗的な態度で口答えをしてきた。これまで素直な子どもであったのが五年生の終わり頃から特に美春には口答えするようになっていた。
「ほしいものは、ちゃんと聞いて買ってあげてるでしょ」
「うちで買ってくれるのは、パンツでもお菓子でも生協のものばっかり」
「良いじゃない。身体に一番良い物を選んでいるんだよ」
「いやなの。いつもお母さんは大人の考えを押しつけるから」
「子どものことを考えているからだよ」
「いつでも新婦人、新婦人って忙しいし。僕たちよりも新婦人が大事なんでしょ」
「そんなことないよ。お母さんはみんなが一番大事だよ。だからみんなが幸せに暮らせるように頑張っているんだよ」 
「もういいよ。宿題してるんだから亮太と哲郎をここに来させないで。ぶってごめんなさい。これでいいでしょ」
と言って淳平は襖をぴしゃりと閉めた。
 きっと学校で何かあったのかも知れない。むしゃくしゃして弟達に八つ当たりしたんだろう。でも、母親に対する日頃の思いをぶつけられ、切なかった。新婦人の活動のことを、小学六年生に理解してもらうなんて無理な話かもしれない。それにしても、お金のかかる日々の生活で夫一人の給料では本当に大変だった。ちゃんとした仕事を探すべきかな。でもここの仕事も引き受けて1年も経っていない。次の大会までは辞める訳にはいかない。 仕事として子どもの理解を得る難しさがあった。夜も休みの日も夫にお願いして、出ることが多くなった。子ども心に寂しさもあるかも知れない。雪をみつめながらそんなことを考えた。
 時計を見ると十一時半になっていた。雪片づけばかりやっているわけにもいかない。そろそろ部屋に入って新婦人新聞の部数の確認をして県本部に報告しなくてはならない。
 部屋は、ストーブの暖かさで満たされていた。しかし、床に近いところは温度が低いままで足下が寒い。ゆっくり休む間もなく、膝掛けをして自分の机に向かい、仕事を始めた。机が2つ並び美春は右側の机を使っていた。ファックス付きの電話も机の右側にセットされていた。美春は機関紙ノートと新聞の増減カードを取り出し、班ごとに部数の確認をして書き込んでいった。全体の班の3分の2くらいの書き込みが終わった十二時頃、玄関の戸が開いた。開いたと同時に
「高田さん。いたー。こんにちは、井上です」
 いつもの少ししゃがれた声がした。
「はい。いましたよ。どうぞ」
 とペンをもったまま答えた。入ってきたのは、胡桃班の井上貴代美だった。六十歳を過ぎているが、まだまだ元気いっぱいの様に見える。A市の市会議員の経験もある方で、数年前に議員生活を終え生まれ育った弘前市に帰って来ていた。
「お昼にご免ね。共同購入の化粧水と石けんがなくなっていたので寄ったの。近くまで来たものだから。いいかな」 
「はい。良いですよ。外寒かったでしょ。暖まってください。」
美春は立ち上がり、ストーブの近くに丸椅子を置き座れるようにした。
「化粧水は普通のでいいですか。」
「いい、いい。」
と腰掛けながら答えた。
「石けんは三つ入りの1セットでいいですか。」
「んだ。重くなると困るはんで。」
「はい。分かりました。今用意しますね。」
 と美春はドアを開け静かに締めて、廊下を挟んだ寒いままの部屋に行き、棚に並んだ商品の中から化粧水と石けんを取り出してきた。井上が待っている部屋に戻り
「これで良いですか。」
 と確認をし、袋につめた。商品を手渡し代金をもらってから机に向かって座り領収書を書いて貴代美に手渡した。
 美春が小さな金庫を引き出しから出して、お金を入れていると
「どんだ。ここの仕事慣れた。大変なこともあるべ」
と聞いてきた。
「はい、事務所の仕事は大部慣れました。仲間づくりは大変ですけどね」
と、くすっと笑いながら
セットされたお茶のコーナーの所に行って急須にお茶の葉を入れ、ポットから湯を注ぎ、湯飲み茶碗にお茶を入れて井上貴代美にすすめた。貴代美はコートを着たまま椅子に腰掛け、口をすぼめて熱いお茶を一口飲み込むと
「高田さんの所子どもさん達四人もいるんだって。ほらほら、おらほの班の田所さんが話していたはんで」
「そうなんです。でもやっと一番下が幼稚園に入り何とかなるかと思い引き受けました」
「んだか。私も、青森市議になる前は新婦人青森支部の事務局長やっていたはんでその苦労はよーくわかるのさ。」
美春は、昨日の一件があったばかりで、何だか自分の苦労を分かってくれる人が現れたという思いで、急に涙が込み上げてきた。
「色々大変なんだべ」
手で涙をぬぐい、美春は答えた。
「今一番大変なのは反抗期に入った小学六年生の長男なんです」
と、昨日の出来事を話した。
「んだか。自分たちより新婦人が大切なんでしょなんて言われるとつらいねー」
貴代美は、お茶を飲み一呼吸しながら続けた。
「でもね、私の苦労はそんなものじゃなかった。それはそれは大変だった」
鳩時計が一つ鳴り、十二時半を知らせた。美春はお茶を差し、駄菓子の入っている茶菓子入れをテーブルにのせた。
「私、旦那が早くなくなったもんで、結局娘を一人で育てながら新婦人も市会議員もやったべー」
「そうだったんですか。それは大変でしたね」
「ほれ。私も高田さんと同じタイプでついつい頑張っちゃうのさ。頑張ればそれだけ娘に我慢させるべー。」
「そうなんですよね」
「私の場合、それをほろしてくれる父親がいなかったはんで大変だったのさ。ぐれてしまったの。それも半端じゃなかった」
貴代美はそう言って、からからと笑い話を続けた。
「小学生のうちはそれでも何とかなったんだけど、中学二年生の頃から髪は染めるは、学校は行かなくなる。そのうち家に帰ってこなくなってしまったの。それは大変だった。その頃は議員になっていたから余計悩んだ悩んだ。自分を責めるべー。いくらいいこと言っても我が子がこんなんじゃ説得力ないもの。もう議員もやっている資格ないと思った。私、東京まで行って党の中央委員会に相談に行ったのさ。そしたら、専門家の人が対応してくれて、何ていわれたと思う。娘さんはお母さんの姿勢を見ているんだって、つらぬきなさいって言われたのさ。それは意外だった。だけど、お母さんの言うことを聞かなければお金もあげてはだめ、どんな援助もしないということを徹底するように指導されたの。」
「すごいことがあったんですね。親としてはつらいですね」
「そうなのさ。でも心を鬼にして頑張った。最初連絡もこなくなりどうなるかと思ったんだけどそれが、数ヶ月して帰ってきたのさ。ママ私疲れたって。言われたとおり頑張って良かったと思った。それから随分落ちついてきて高校にも行きたいってなったのさ」
 小さな饅頭を口に入れお茶をぐっと飲み込み
「そんなわけ。だから色々あっても子どもを信じ、自分の信念を貫けばきっと分かる時が来る。私それ実践したから言えるのさ」
「貴重なお話をありがとうございました。私もこれから色々な葛藤があるだろうけど頑張ってみます」
 井上貴代美は、小さな袋をカバンから取り出し、それに買ったものを入れ、カバンを肩に掛け、おしゃれな防水の施された長靴を履いて帰っていった。美春はすーっとしたような気分になった。自分が今している子どもたちの幸せのための活動、その拠点となる事務所を支える仕事をもう少し頑張ってみようと思った。新婦人新聞の部数申請の時間が迫っていた。美春はあわてて机に向かった。ストーブの上でやかんがぴゅーっと鳴った。
 (「弘前民主文学」144、2012年8月15日)


安藤晴美「ひとつのジャンプ」(『弘前民主文学』第144号、民主文学会弘前支部、青森県弘前市)は、新日本婦人の会弘前支部の事務局長をしている高田美春が主人公で、時は1987年である。美春が新婦人に入ったのは夫の転勤で7年前に弘前に越してきた時で、いま子どもは、小学校6年生の淳平を先頭に4人、夫の協力はあるものの、事務局長を務めながらの子育ては大変である。美春は、事務所の雪かきをしながら、淳平が弟たちを叩き、叱る美春に抗弁した前夜のことを思い出す。「兄弟が多いから勉強に集中出来ない」「いつもお母さんは大人の考えを押しつける」「僕たちよりも新婦人が大事なんでしょ」と日頃の憤懣をぶつけられ美春は切なくなる。この場面は目に見えるように描けていて読ませる。事務所に、青森市で新婦人の事務局長や市議をやっていた大先輩が訪れ、涙ながらに子育ての大変さを話すと、彼女は「私の苦労はそんなものじゃなかった」と言う。夫に早く死なれたため娘を一人で育てながら活動をし、「頑張ればそれだけ娘に我慢させ」てしまい、娘のぐれ方も半端ではなかった,彼女は悩み抜いた挙句、「党の中央委員会に相談に」行き、専門家の指導・助言を受けて娘に対処する、彼女は言う。「色々あっても子どもを信じ、白分の信念を貫けばきっと分かる時が来る」と。作品は急ぎ足で書かれていて硬質な印象も受ける。小説としてはもっとたっぷりとした味わいも欲しいという注文がなくはない。だが、仕事と活動と子育てを同時にやっていく難しさや悩みに焦点を絞ったこの作品は、深い共感を呼ぶ、それは、作者の切実なモティーフと結びついた助確なテーマ意識があって実ったものであろう。.(丹羽郁生「支部誌・同人誌評−小説は何によって成り立つのか」(民主文学」No.566,2012年12月)