乳幼児医療費無料化と現物給付の闘い
 
 子どもはよく病気にかかる。私は四人の子どもを育てたのでその苦労は身にしみてわかる。初めて母親になり我が子が初めて熱をだしたときは、随分うろたえたものだ。次男と三男は喘息だったため、お医者さんにかけつけることが多かった。四人目は、生まれてまもなくから下痢ばかりして早い時期からお医者さん通いが始まった。そして、何故か4人のうち3人が小さい時からアトピー性皮膚炎で皮膚科、小児科アレルギー外来、アレルギー内科を転々とし、未だに治療が続いている。子どもが小さい時は、小児科と耳鼻科などお医者さんのハシゴなんていうのも、ざらだった。
 子どもは色々な病気をしながら、たくましく育って行くものだ。しかし、その
治療費がばかにならない。「子どもが安心してお医者さんに通えるように、乳幼児医療費の無料化を」この運動は、新日本婦人の会が中心になり、粘り強く続けられてきた。もちろん私も、自分の切実な問題として運動を続けてきた。
 だから、私が選挙に初めて出たとき「乳幼児医療費無料化」は、かけがえのない公約の一つでもあった。その後、母親たちの粘り強い運動で少しずつ成果を上げてきた。
 運動を始めた頃は、弘前市では国民健康保険の○歳だけが無料の対象だったのが、今では青森県の施策として、外来対象は3歳まで入院対象は就学前までとなった。しかし、所得制限があるために、対象者は限定される。
 昨年弘前市に提出してもらった資料によれば、「乳幼児医療費助成制度」の対象者は6770人、非該当者は3217
人となる。
 「日本一」の好きな我が青森県知事の下での施策としては、非常に物足りない限りである。東北の各県の状況を見てみると、秋田・山形・福島県はいずれも就学前まで制度化しているし、福島県にいたっては、所得制限も撤廃している(ただし、月千円の自己負担あ
り)。隣の秋田県内では、25市町村が独自の助成措置を実施しているという。
 弘前市でも、「所得制限の撤廃」「就学前までの拡大」を求めてきているが、「現行制度で所得制限を撤廃すると年間約一憶円、就学前まで範囲を拡大し、かつ所得制限を撤廃すると年間約3億3500万円もかかるので無理である」
という態度である。日本共産党の市長を誕生させ実績を積み上げた東京・狛江市では、公共工事の浪費にメスを入れ、福祉のための財源を生み出し、東京多摩地区で初めて就学前までの乳幼児医療費無料化を実現している。かけがえのない子どもの命をまもるために、最善をつくす自治体の姿勢が問われている。
 もう一つ、「現物給付」という課題があ
った。せっかく乳幼児医療費無料化の対象になっていても、いったん窓口で支払いを済ませ一ヶ月分まとめて市に請求し、一ヶ月後に口座に振り込まれる「償還払」という制度がとられていた。しかしこれだと、面倒臭くて手続きに行かないという状況が生まれていた。これが行政のねらいでもあった。そこで、窓口では払わずに済む「現物給付」という制度がどうしても必要であった。これについては、私も議員になってから、予算・決算特別委員会や当時所属していた厚生常任委員会で、請願が上がるたびに頑張った。弘前市の担当課は、「制度上無理」だとか「医師会に協力を求めていヅみが、協力を得られない」との一点ばりであった。しかし、議会でも何度となく取り上げ頑張っていく中で、「親が市役所に出向かなくても、医療機関から直接、対象者の医療費を市に請求する方法」に切り替えさせることができた。それでも、窓日でいったん支払わなければならないことに変わりはなかっ
た。「何故、現物給付に切り替えられないのか」その理由として市があげることは「医療機関に医療費がすぐ入らず、数力月遅れになると医療機関が納得しない」というものだった。請願審議
の常任委員会の席上与党の議員たちも、口を揃えて同じ主張をした。当時すでに実施していた八戸市の医師も嘆いている、というおまけもついた。私
には、子どもにかかった診療費用が数ヶ月遅れることで、医療機関がそんなに困るということが信じられなかった。
 意を決して、弘前医師会に対し懇談の申し入れをすることにした。医師会では快く懇談の場を設定してくれ、新婦人のお母さんたちと出向いた。医師会の会長さんをはじめ役員をされている方々がそろっていた。早速実状を説明し協力を求めた。すると、その話を間いた皆さんが、「えっ?」という顔をされ、「そんなお願いは弘前市から来ていない」ということになったのだ。そして、忘れもしない小児部会長をされていた磯野小児科の磯野先生が、「私も、何人も子どもをつれてきた方からお金をいただくのがつらいと感じている。そういう制度があれば本当に助かりますね。大いに結梼な話だ」とおっしやられたのだ。
 この懇談での話を、次の現物給付を求める請願審議の厚生常任委員会の席上で発言をすると、他の委員が「それが事実であると医師会の汚点になるから、発言を取り消せ」という妨害をする
始末で、またしても不採択という結果になった。結局その後の調べで、正式に現物給付の協力依頼を医師会にしていないことが判明した。
 その後、弘前市と医師会との折衝が進み、議会では不採択のまま、現物給付が実現した。粘り強い闘いの勝利だった。
 安心して病気の子どもをお医者さん一にみてもらい、健やかに成長させることができる社会。当たり前で大変なこと、この当たり前で大変な事業を、若いお母さんたちと手を携えて、押し進めていくよう、これからも頑張っていきたい。
              (『弘前民主文学』114号2002・10・15)