そらちゃんへ贈るおばあちゃん宣言

                      
安藤晴美


 そらちゃんこんにちは。弘前のおぼあちゃんです。昨年2005年10月26日飯田に住むパパからの電話であなたの誕生を知り、その日から、私たち夫婦もおじいちゃん、おばあちゃんの仲間入りをさせてもらいました。とても幸せなことです。無事生まれてきたそらちゃんと頑張ったママに心からありがとう、そしておめでとう。
 あなたのパパは、あなたが生まれくる時に、飯田から伊那に駆けつけやっと30分前に到着し、何とか予定していた立ち会い分娩ができ、感動と興奮の中で我が子と対面し、本当に嬉しそうでした。「女の子だよ」の電話での報告に私たちも大喜びでした。安藤家にとって待望の「姫」誕生ですからね。
 パパの初仕事は、あなたの名前を決めることで、随分悩んでいましたよ。悩んだ末に付けられた。"そら"という名前を、あなたは気にいりましたか。おぼあちゃんはとっても可愛くて、良い名前だと思っています。澄んだ青空、茜色に燃える夕焼け空を想像します。この空の様に素敵な人生を送って下さい。
 今のそらちゃんにとって、部屋中に響き渡るほど大きな声でいっぱい泣くのも大切な仕事ですね。福祉施設で「子育て」を仕事としているママとパパだけれど、母親父親としての子育ては初心者だからきっと毎日格闘の日々だと思います。それでも、あなたが幸せそうにおっぱいを飲み、機嫌良く微笑む姿を見る度にパパとママの疲れはふっとんでいることでしょう。早いものでそらちゃんが誕生して今日で4ヶ月目。そらちゃんとママ、パパとのトライアングルの絆がしっかり結ばれ始めていることでしょう。それに、同じ長野県に住む伊那のおばあちゃんやおじいちゃんたちからも、あふれるような愛情が注がれそらちゃんは幸せいっぱいですね。
 さて、そらちゃんがこれから始まる長い人生を、どんな風に紡いでいくのかとても楽しみです。おぼあちゃんは、54歳を越えましたので、そらちゃんが歩む人生を何歳まで見届けることができるでしょう。少なくとも20歳のあなた、できれば妻になり、母になるあなたとも会いたいものです。随分先のことですね。とりあえずは、寝返りを打ってハイハイをして、何でも口に入れてなめまくり、小さく顔を出した乳歯でママのおっぽいにぎゅっとかみつき、そしてつまかり立ちしてあんよする、そんな目まぐるしい成長の時を迎えることでしょう。遠くから楽しくみつめさせてもらいます。もちろんパパやママから送信される、E−メールの画像で、その成長ぶりをおじいちゃんとニコニコしながらながめたいと思います。
 そう言えば、パパから送ってもらったそらちゃんの人生1ヶ月目の泣き笑いのカット写真集は、私の鏡台の正面横に貼りました。毎朝化粧をする度にそのそらちゃんを眺めながら「さあ今日もそらちゃんのために頑張ろう」と気合いを入れています。そうそうこの間、久しぶりにおじいちゃんの大学の研究室にいったら、机の上に二つの額縁入りのそらちゃんの写真が飾られていました。おじいちゃんは、大泉逸郎の「孫」という歌が大好きで孫の出現を私よりも首をながーくして待っていたので、嬉しくてしょうがないんだと思います。もちろん待望の女の子でしたしね。卒業する学生からプレゼントされた色紙に「安藤おじいちゃんへ」と書かれていたのがこれでうなずけました。
 そらちゃん。おばあちゃんは、そらちゃんが元気に明るくたくましく成長し、幸せな人生を歩んでいくことを心から祈っています。おばあちゃんはね、人がみな自由にいきいきと暮らせる世の中をめざして、弘前の市会議員としてがんばっています。議員生活は、あなたのパパが大学入学の時からなので11年目になります。
 おぼあちゃんが入っている日本共産党は、戦争のない平和な社会、誰もが人として尊ばれる社会をめざしています。おぼあちゃんが生まれる7年前まで、日本は世界を相手に戦争をしていて、たくさんのたくさんの人々が犠牲になりました。アジアで2千万人。日本で310万人というびっくりするような人たちが死んだのです。恐ろしいですね。
 その時代日本がしかけた戦争は、正しいと思い込むように教育され、日本の兵隊さんたちは、「天皇陛下万歳」と言って死んでいきました。日本で唯一アメリカ軍が上陸し地上戦となった沖縄では、防空壕に逃げた日本兵や、沖縄のお年寄りや女性・子どもたちでいっぱいになり、泣き叫ぶ子どもがいるとアメリカ兵に日本兵の居場所がわかってしまうからと、子どもを殺すように命じられ、母親が赤ん坊を外に連れて行き、木にたたきつけて殺すこともあったそうです。悲しいですね。つらいですね。日本兵はまた、中国などで、女性や子どもを殺し続けたのです。悲しさのかたまりが戦争です。
 でも、日本はこの無謀な戦争に負け1945年8月15日に戦争は終わりました。そして、愚かな戦争は二度としないと決めたのです。その時につくられた憲法が「日本国憲法」で、それまでの一番偉い人は天皇陛下で、国民は何でも言うことを聞く「天皇の子供」だった時代から、一番偉いのは国民一人一人で、誰もが幸せに暮らす権利があるとされました。このすばらしい憲法がずっと守られ、平和な社会がずっと続くことを心から願っています。そしてそらちゃんが、お母さん・おばあちゃんになっても平和が続き、このすばらしい憲法が花開き、命が尊重され、人々が安心して暮らせる世の中がやってくるように、おばあちゃんは、生命ある限り一生懸命がんばっていきたいと思います
。(「弘前民主文学」125、2006年4月15日)