大きな栗の木


 弘前市の町の中心にほど近い場所に内山愛子の家はある。七十七歳の愛子はここで一人暮らしをしている。旧家が立ち並ぶ地域であリ、所々にりんごの園地も残っている。西側の隣地のりんご畑越しに臨める岩木山は、四季おりおり感動的な姿を見せてくれる。愛子が戦後五年目に二十歳で嫁ぎ、以来守ってきた家はそんな場所にある。
 内山家の土地は五〇〇坪ほどである。このあたりには今でも農家が点在しており、内山家も何代か前までは農家であった。土地の広さはそれを物語っている。道賂沿いにすでに亡くなった夫が経営していた工場があり、今は貸倉庫の札がかかっている。その倉庫の南側に位置する道路沿いの庭は手入れが行き届き、品良く育てられた庭木は、道行く人々を楽しませてくれる。その庭に囲まれるように建てられた大きな家で愛子は嫁として働き、妻として夫をささえ、三人の娘を育ててきた。娘たちはそれぞれ県外でしっかりした家庭を築き幸せに暮らしている。愛子が四十の手習いで始めた書道は展覧会で何度も賞を受けるほどの腕前である。
 しかし、ここ数年は病気がちで机に向かう事ばほとんどなくなっていた。三人の娘たちは、病気がちな母親を案じてかわるがわる、数ヶ月ごとに実家に戻ってきたり、毎日決められた時間に電話をかけてくるなど気配りをしていた。
 家の西側五メートルほどの所に、毎年愛子が楽しみにしている美味しい実がなる栗の木がそびえたつ。その大きな栗の木の下に自慢の井戸があった。昔は内山家の水は美味しいとの評判で、近所の人たちが皆汲みに来る程であった。家の誇りでもあった。
 井戸から吸い揚げられた水は風呂場に引かれるようになっていた。風呂にためられたこの地下水は水道水とはひと味違うまろやかさが代々内山家の人々の身体をやさしく癒してくれた。
 その井戸水の異変に気づいたのは約七〜八年前のことだった。
 暮れから正月にかけて、三人の娘たちはそれぞれの家族と共に、母の元に帰り、賑やかな一時を過ごすのが常であった。夫に先立たれ、一人暮らしになった愛子は、孫や娘たちに会えるその時を楽しみにしていた。
 この年、次女良子の一家は一足早く帰省した。帰ったその日、前日から降り続いた雪が家の回りを覆い、一家はやっとの思いで玄関口にたどり着く状態であった。一休みしたあと良子の夫茂は雪かきをかって出た。関西生まれの茂だが、毎年の雪かきでその腕はあがっていた。一時間ほどかけて玄関先から、県道までの十数メートルの雪を片づけた。汗だくになって、部屋に戻ると、愛子が言った。
「茂さん、疲れているのに申し訳ないね。お風呂わいているから、汗流してちょうだい」
「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えて先に入らせてもらいます」
と言,って、茂は早速汗にぬれた服を脱ぎ、簡単に体を流して、湯船につかった。
「ああ、気持ちがいいなあ」
とゆっくりつかりながら、年老いた義母にとって雪かきは大変だなあ、との思いをめぐらしていた。しかし、この時、身を包んでいた風呂の湯は肌が覚えていたまろやかさとは何か違う、少し刺すような感じがした。風呂から上がり、タオルでしずくを拭き取ると、ぽつぽつと小さな発疹が出ていることに気がついた。はじめは、それほど気にしていなかったが、妻良子が首筋の赤みがかった発疹に気づき、
「あなた、それどうしたの」
と茂に訊ねた。
「そう言えば、風呂のお湯の感じがいつもとちょっと違っていたんだよな」
と言いながら、上着を脱いで見せた。良子は驚いた。発疹が全身に広がっていたからだ。
 その様子を見ていた愛子は、そう言えば、お風呂からあがると、肌が荒れ気味であったことを思い出していた。
 心配になった愛子は、その日から内風呂を控え、車で五分程のところにある温泉に娘たち家族と皆で出かけた。
 愛子は、この風呂に使ってきた井戸水のことでどうしたらよいのかわからず、皆が帰ってからも悩んでいた。少しの間、様子を見てみたが、その水は、良くなるどころか若干の異臭もし始めた。どこに相談すれば良いのやら全く見当がつかず、市の相談窓口に出かけもしたが、あまり適切なアドバイスはもらえなかった。とにかくもうダメだとあきらめ、風呂への配水を水道水に切り替え、井戸水は外回りの蛇口にのみつながるように業者にお願いした。その水を花木にかけると枯れてしまうものまで出た。仕方なく掃除用の水として活用するようになっていた。そんな頃からトイレや洗面所では目がツーンとするような臭いがし始めていた。しかし、なすすべはなかった。風呂の水とトイレの悪臭が関連しているとは、何故か想像できなかった。
 こうして七〜八年の月日が過ぎた。愛子は、身体の調子はさらに悪くなり週二回の通院を余儀なくされていた。肝臓を患っていた。毎日一人で病気と闘う自分を支えるのに精一杯だった。家を訪れるホームヘルパーさんらから家の臭いを指摘されることはあっても、その原因を深る余力はなかった。
 二〇〇五年七月の中旬。町内会のねぷた小屋では八月一日からのねぷたづくりの追い込みに入っていた。毎晩遅くまで若い者たちによって準備が進められていた。近くの集会場からは子どもたちのねぶた難子の笛や太鼓の練習の音が賑やかに聞こえてきていた。
 二ヶ月ぶりに帰ってきた長女の優子は、一週間程の滞在の予定でかいがいしく働いた。大柄でがっしりした優子は大粒の汗を額にいっぱいかきながら、日頃行き届かない隅々まで掃除をしてくれた。一段落すると汗を拭きながら、冷蔵庫から冷えたりんごジュースを取り出し、二つのコップに注ぎ一つを愛子に差し出し、自分もごくんごくんと半分程飲み干した。掃除をしながらちょっと気になっていたことをきりだした。
「母さん。家の臭い少しきつくなってない?」
と訊ねた。愛子はすかさず
「そういえば、きのう新しいヘルパーさんにうちの臭い気になるって言われたばかり。だけど毎日暮らしている間に慣れてしまったのって答えたばかりなの」
「母さん。毎日暮らす母さんの身体に何か影響あったら困るから、思い切って明日にでも保健所に行って相談してこようかしら」
「優子さん。お願いします。たのむわね」
そんな会話のあと、植えている野菜のキュウリやトマトの様子を見に二人はつっかけを履いて外にでた。愛子は杖をついている。栗の木の下を通り五メートル程行くと数種類の野菜を植えた畑がある。
「母さん。すごいじゃない。今年はいいできね」
「今年はうまくいったわね。植え付けやってくれた従兄弟の次郎さん専門家だから」
といいながら、取りそこねた大分太くなったキュウリや赤く熟れたトマト、ナスを収穫した。そして、畑から籠いっぱいになった野菜を持って、栗の木の所まで来たとき優子が何気なく
「母さん。あのだめになった井戸の水とツーンとする家の中の臭いと関係ないかしら。ちょっとのぞいてみようか」
「そうだね」
優子は籠を近くの草の上に置き久しぶりに、重いふたを両手でおろしてみた。
「母さん。みて。これ」
「どうしたの」
というなり、曲がった腰に手をやりながら、井戸に近づいて中をのぞいてみた。悪臭が顔をおそってきた。
「うわー。臭い」
一度身をひいてから、そっと中をのぞくと水面に油が丸く輪をかいて光っていた。
「なんなのこれ」
「母さんこれ、家の臭いときっと関係していると思う」
「そうだね」
「でも、何でここに油が浮いているのかしら」
「どうしてか母さんにもちんぷんかんぶんだわ」
「母さん。この水汲んで捨てましょ」
そういうなり、優子は家に戻り業者に電話をしてホースで汲み上げてもらう手配をした。知り合いの業者が早速来てくれたのは夕方の六時を過ぎていた。
「全部汲み上げればまた、きれいな水がたまるかも知れない。ねえ母さん」
「そうだといいわね」
何か解決する方向が見いだせるかも知れないという淡い期待に胸がふくらんだ。早速業者が持ってきた太いホースで井戸の水を汲みあげ出した。三時間程でその作業は終わった。
「ごくろうさまでした」
優子がおしぼりと冷えた麦茶を持って声をかけた。
「奥さん。こりゃあ大変だね。井戸に油投げ込んだ者でもあるんですかね。もしそうなら悪質ないたずらだ」
と業者のご主人が言った。
翌日は、愛子の通院の日であった。優子の運転する車ででかけた。いつも治療が終わり病院を出るのは十二時を過ぎていた。その帰り昼食用の巻きずしを買い、再び優子の運転で家に向かった。我が家の通りに右折した時、どうしたことかその道路の前方に、消防自動車や車が物々しく何台も止まっているのが見えた。よその家で何かあったのかしらと二人で話しつつ車は家に近付いた。程なく止まっていたのは、我が家の前だったことを知る。愛子はそうでなくても病院帰りは疲労こんぱいで大変なのに、この事態に腰が抜けたようになった。優子は車からおりるなり
「どうしたんですか」
と制服姿の消防土に駆け寄った。消防士に混じって、県や市の役人もいることがわかった。市の環境保全課係長田宮が説明を始めた。
「市民から近くを流れる寺沢川に油が流れていると、環境保全課に通報があり、消防本部と県土整備事務所へ連絡し、合同で原因をたどってきたところ、お宅が原因ではないかということになりこうして集まってお帰りを待っていました」
あとから車から降りてきた愛子が杖をつきながら心配そうな顔をしてそばに立っていた。優子は愛子を気遣い
「母さんは家に入って休んでて」
と玄関に連れて行こうとした。しかし、愛子は優子の手を払い、
「確かに油はうちから流れていった
ものです」
と言いながら、何故井戸水を流したかその理由を気丈に説明した。そして、
「皆さん。うちに入ってこの臭いを嗅いでみてください」
と杖をつきながら、玄関に誘導した。玄関を上がり廊下をまっすぐ進んだ所の臭いの一番激しい洗面所、トイレ付近に案内した。上がり込んだ七人は、みんな鼻を手で覆った。それほど強烈だった。その後、優子が外の井戸、そして流した側溝などを案内し、一通り見た後県の職員が
「今後井戸水を側溝に流さないように。わかりましたか。大変な迷惑かかるんだから」
と強い口調で言った。しかし、愛子と優子は口をそろえて、
「なんでうちの井戸に油が混じっているのか調べてください」
市の職員は回りの家の井戸の状況は調査してみます。消防も
「油を採取しましたので何の油か調べてみます。この付近の油漏れもないか調べますので」
と言ってみんな引き上げていった。
翌日の地元紙には、「油漏れ事故、川を汚染!」と報じられた。その新聞を広げていた時、市役所の田宮が部下の田村と星野を引き連れてやってきた。
「昨日はどうも。きのうですね、近隣の井戸水を調べてみましたが、すべて異常はありませんでした。消防が近隣の地下タンクなども調査しましたがそちらも異常なしとのことです」
「それじゃあ何で井戸に油が入っているんですか」
と優子が声を荒げた。
「お願いです。原因を調べてください」
と愛子は懇願した。しかし
「上司に伝えます」
と言っただけで帰っていった。
いたたまれず愛子は市役所環境保全課に電話をかけた。
「J町の内山ですが、課長さんお願いします」
「今、席におりません」
女性の事務的な対応だ。
「お願いです。助けてください。井戸の水が油で汚れてしまっているんです」
「ちょっとお待ち下さい。係の者に替わりますので」
「はい。替わりました。課長補佐の田宮です」
「お願いです。何故うちの井戸に油が混じっているのか調べてください。公害でしょ。あなたたちの仕事じゃないんですか」
「しかしですね。民地で起きたことは、これ以上踏み込めないんです。わかってください」
十五分くらい食い下がったが進展はしなかった。数時間後今度は、制服姿の消防署員が訪れてきた。
「調査した結果、油の成分は灯油ということがわかりました。ただし灯油は発火する性質はないので、原因を消防の方で追及する事はできませんのでよろしくご理解ください」
と頭をさげて帰っていった。
 愛子と優子は愕然とした。どうしたらいいんだろうと頭をかかえてしまった。愛子はふと、友人の百合恵がゴミの問題で共産党の議員さんに相談して解決した話をふと思い出した。よし私も共産党の議員さんに相談してみようと思いたった。回り回って畑中みどり議員に話が持ち込まれた。ちょうど電話があった日時間がとれたので、畑中みどりは早速内山宅を訪ね、一通りの話しを聞いた。
「明日環境課と話をしてきてみます。とにかく原因を突き止めなくちゃね。一緒に頑張りましょう。それにしても、この家の中の臭いひどいですね」
「本当にありがとうございました。こうしてすぐに来てくれるなんて思っても見ませんでした」
と二人は畑中みどりの訪問に大変勇気づけられたのだった。
 翌日、畑中は環境課の課長奥野と田宮にあった。奥野はいかにも役人タイプという感じの人で形式的な会話に、畑中は何か物足りなさを感じていた。田宮も何か頼りないタイプであった。話の中で
「以前にも、内山家の側溝部分の継ぎ目から油がにじみ出ていたことがあり、通行人からの通報で県に連絡が入り、県がコンクリートでとりあえず側溝に流れ込まないように固めたことがあった。どうせ、原因は当事者にあるんじゃないですか。ご主人が前に仕事で使っていた油かなんかを埋めているんじゃないですか」
と言い放った。畑中はびっくりした。
「とにかく、川の汚染に関わる重要な案件です。そして、市民がその油で汚染された所に住み困っているのです。原因追及に万全の努力をしてください」
と強く求めたのだ。
 それ以降、再び環境保全課田宮が田村と星野を引き連れて内山家を訪れるようになった。愛子は田宮に言った。
「隣の家で最近井戸を掘ったと聞きました。やはり水質が悪くなったからではないでしょうか。調べてみてもらえませんか」実はこれまでも隣の後藤家から、境界線の事や植木の件などでさんざんいやな思いを味わってきただけに、直接聞きに行けるような関係ではなかった。田宮は部下を連れ後藤家に聞き取りに出向いた。
「ごめん下さい」「はい」
といって出てきたのはお手伝いの加代であった。井戸の件は水質の問題ではないことが分かった。田宮が色々な様子を聞いている時に、田村が「あれ」と思うことがあった。玄関の入り口に大きな灯油タンクがあるのだが、十メートル程も奥まっている家につながるパイプの姿が見えない。
「もしや地下配管ではないか。この地下配管から灯油がもれてることもありうる」
そう田村は思った。若い田村は、何とか原因を突き止めてあげたいと心底思っていた。そのことを聞いた田宮が帰ってから、消防に電話で尋ねると
「調査の際外見上も聞き取りでも問題ないとのことでしたので、異常なしと判断をしています」
さらに、灯油の配管漏れについて問うと、
「可能性が有るかも知れないが、毎年検査を義務づけられているタンクではなく、検査の直接の実施は消防ではできない」
との返事だった。この話を聞いた畑中は、
「是非様子を見せてほしい」
と課長に要望した。後藤家の承諾を得、現地に田村と星野を寄こしてくれた。優子と一緒に様子を見に行った。
 灯油タンクは一般の住宅用では見たことがないほど大きな物で、そのタンクから地下に埋まった灯油の配管はちょうど隣家との境界線にそって自宅まで埋め込まれていることがわかった。後藤家の台所の外に設置されている汚水桝も壊れかかっている様子だった。
 ここに原因が有るかも知れないと畑中も直感した。畑中と優子は灯油による土地の汚染がないか調査を強く要望した。
 それを受け、環境保全課では、課内で協議した結果、隣家の地下配管が灯油漏れを起こしているという仮定のもと、内山家と後藤家の境界で後藤家側を掘削することを決めた。
 いよいよその日がやってきた。消防自動車出動の騒ぎからちょうど一週間たっていた。七月二十五日、日中三十度を超すという暑い日だった。掘削といっても、田宮がいつもの田村と星野、それに他の職員二人を引き連れ、作業着と長靴姿でスコップを抱えてきただけだった。優子は
「これで本気になって調べる気があるのかしら」
と正直思ってしまった。自分も長靴に履き替え、自宅のスコップを倉庫からとりだしてきた。その日愛子はすっかり身体の調子を崩し、家で寝込んでいた。
「まずこのあたりから始めよう」
田宮が指示した。五人が、まずはニカ所大きく穴を作るように掘り始めた。優子も近くを掘ってみた。そこは、井戸のある方向で境界沿いにある大きな物置小屋の壁にそった部分だった。三〜四十分経った頃だったろうか。地下五十〜六十pのところで、強い灯油臭がする地層を発見した。田村が、今度はもっと灯油タンクに近い方を掘り始めて見た。すると、今度は先ほどよりもさらにどろどろの状態で茶色の灯油が細い線になって流れている様子がみてとれた。これで、灯油タンクの地下配管が漏れていることがほぼ断定されることになった。後藤家の主人と消防にも連絡をとり、現地に来てもらい、消防から主人に緊急の配管漏洩検査を依頼することになった。検査の結果、後藤家の汚水桝付近の地下埋設灯油管が腐食し、灯油が漏洩していることが判明した。
 この先の解決方法について奥野課長は
「民地と民地のことなので、市は一切関われない」
と一言った。優子は畑中に
「是非隣の家との話し合いに立ち会ってほしい」と頼んだ。畑中は大変な役を仰せつかったと緊張したが、応じることにした。隣家後藤家との話し合いは、内山家の応接間で行われた。後藤家の主人は灯油による汚染の原因を認め
「内山様宅地内の汚染された場所すべてを元の状態に戻すことを約束します」
との誓約書を交わすことができた。
 そしていよいよそれから、すさまじい工事の始まりとなった。優子は東京に残した家族のこともあって一旦東京に戻らなくてはならず帰って行った。愛子は
「あと頼れるのは畑中さんしかありません。どうかよろしくお願いします」
と頼み込んだ。それから、畑中はさらに頻繁に愛子のもとを訪れ、工事の様子を確認し愛子を激励した。四人の職人が最初に井戸の横の土地を五坪ほどの広さで深さニメートルくらいを掘った。驚くことに灯油だけではなく、汚水桝から漏れた汚水も掘った穴に悪臭を放ちながらじわじわと流れ込んできた。二週間ほど水を吸い上げた。水が引けると今度はいよいよ粘り気を増した油が、筋を作って流れ込む様子が確認できた。そこが終わると次の場所という具合に土の入れ替え作業を進めていった。愛子は費用面の遠慮もあって口にしなかったが、畑中はやるからには徹底して
やってもらわなければと助言した。最初に穴を掘って油まみれを発見した場所の、七坪ほどの大きな物置小屋は一旦奥に移動させ、汚染された土を掘り起こしてもらい完壁に汚染土を取り除き土を入れた。玄関前からのコンクリート鋪装の所もすべてはがし、完壁に工事をしてもらった。畑中は、あの臭いのひどかった家も本来なら動かして土台下の土を入れ替えてもらうことを勧めたが、愛子は
「そこまでやれる体力がない」
と思いとどまった。
 結局、家の周辺の土はすべて入れ替えた事になる。夏から始まった土の入れ替え工事は雪の降る季節の寸前までかかることになった。小屋をもとの所に設置する作業も何とか本格的な雪の季節の前までには、終えることができた。
移動した庭木は、一冬越して土の状態を確かめ、翌年さらに土を足してもらってから、元通りに移植してもらった。そして、自慢であった井戸は、違う場所に掘ってもらったが、残念ながら、あれほど良い水質の水は汲み上げることはできずにいる。病気を抱え、ヘルパーの世話を受けながらこれだけの大がかりな工事に直面することになり、愛子は本当に大変だった。しかし、身の上話までつい出てくるほど信頼関係が深まった畑中みどりとは、強い絆が結ばれることになった。畑中みどりは今でも時々、近くを通った時に一人暮らしをしている愛子を訪ねてみる。二〇〇五年六月。愛子と出会ってもうすぐ二年。
「こんにちは。身体の調子はどうですか」
とチャイムを鳴らす。
「どちらさんですか?」
と愛子の声。
「畑中です」
「お待ち下さい」
と、返事がしてから少々の時間がかかって玄関が開く。車椅子の生活になっているのだ。いつものように、こぼれんばかりの笑顔で迎えてくれる。かつては油のツーンとする臭いが充満していた立派な玄関は、もちろん今は全くしない。入って左側に掛けられた愛子の額縁に入った達筆な書が、愛子の毅然とした生き方を物語っている。
「私ね。このうちが好きなの。どんな身体になってもここで、主人の迎えが来るまで頑張って生きていきたいの」
痛い腰をこすりながらも、いつも身椅麗にし、しゃんと生きる姿は、津軽の女性の強さと美しさを感じさせる。
「じゃあまた今度。お元気で」
とみどりが立ち上がると、いつも愛子は、
「ありがとう。畑中さんの顔をみるとさっぱりするわ。また寄って下さいね」
と見送るのだ。畑中みどりは玄関の外に出た。愛子の家の油まみれの騒動から三度目の夏がやってくる。大きな栗の木の下まで行ってみた。まろやかな水がわき出た井戸はすでに埋められ、何事もなかったかのように、紫色の都忘れの花が可憐に六月の光を浴びてゆれていた。
              
(「弘前民主文学」123号、2005年8月15日)