<エッセイ>
             時を重ねて

 私たち夫婦が結婚してから、今年で早三十年目を迎えることになった。式を挙げた時私二三歳夫二七歳であったので、お互いに独身時代よりも夫婦になってからの方が長い年月を過ごしたことになる。
 今、振り返ってみると結婚してから十年目の節目は、筑波から弘前に引っ越してきて四年目の年で、四人目を出産した翌年ということになる。その時、私にとって慣れない土地で初めての主婦専業となり、八歳の長男を頭に男の子四人を育てることに夢中であった。
 二十年目の節目の年はどんな年だったろう。私が初めて弘前市議会議員に出馬し初当選を果たした年であり、子どもたちは長男が大学進学で初めて親元から離れ長野に行き、二男は高校二年生、三男中学校二年生、四男小学校五年生と思春期の入り口や真っ最中の子をかかえ、慣れない議員生活に無我夢中というところであった。結婚の節目を祝う所ではなかったと言えよう。
 そして今年三十年目の節目の年を迎えることになった。全く早いもので、今では子どもたちが、それぞれ自立し、三人が親元から離れ県外で暮らしている。四男もついこの間まで東京で働いていた。何かの時に家族みんなで集まり、楽しい思い出づくりができたらというのが私たち夫婦の"思い"でもあった。
 私たちの結婚三十周年を記念してみんなで一泊旅行をしようということになった。昨年は長男の結婚式があったので、長野のアルプスの麓に集まって以来約一年ぶりの顔合わせということになる。みんな仕事を持っているので、休みの計画をたてるのも容易ではなく、随分前からこの計画を練り準備が進められてきた。嬉しいことに"娘"となった嫁も身重の身体で参加してくれることになり、彼女が無理なく参加できる場所であることが第一条件であり、その長男夫婦が飯田市、二男三男が大阪で暮らしていることから、目的地は関西方面から選ぶことになった。
 ガイドブックを開き、あれやこれやみんなと連絡を取り合い一生懸命計画してくれたのはすべて夫である。いつも忙しい私は、「うん。うん。いいんじゃない。」と人まかせであった。そうして選ばれた目的地は三重県中部に位置する香肌郷の温泉地であった。我が家の一大イベントはこうして八月の月末に計画されていた。

 それが何と八月に入って、小泉劇場とも言われた突然の衆議院解散選挙が.決まり、もしやの予想が的中してしまった。一時は旅行はあきらめようかとも考えたが、何とか八月三十日の公示日には弘前に戻るという予定だったので、地元で頑張る皆さんには申し訳ないと思いつつ、三日問の旅の計画を断行させてもらうことにした。私には今回の旅行は、日頃私の議員活動を様々な形で支えてくれている夫への感謝の気持も込めて、との思いもあったのでちょっとわがままを通させていただいた。
 さて、私たちにとって大切な節目の記念すべき家族旅行は、こういういきさつを経て決行され、とても感動的な思い出をつくることができた。
 二人で同じ飛行機に乗るのを極度にいやがる(墜落を考え…)夫だが、日程上やむなく青森から大阪までは飛行機で飛び、大阪からレンタカーを借り、大阪在住の二男三男も乗り込んで、目的地の香肌郷に向かった。長男夫婦は飯田の自宅から自家用車で、途中東京から新幹線で名古屋まで来た四男を乗せ目的地に向かった。私たちは、途中奈良県明日香村の高松塚古墳や石舞台古墳などを見学。その後、夫が一度は行ってみたいと思っていたという奈良の室生寺(むろうじ)という寺にも寄ることになった。日本で一番きれいな五重の塔があることで有名な寺なのだそうだ。山形の山寺のように何段もの階段を上り詰めた森の中に、優雅で慎ましやかにそびえ立つ五重の塔があった。当初この寺まで来る予定のなかった長男グループも急きょ来ることになり、その寺で久しぶりの家族全員の顔合わせとなった。お腹が大きくなってからの嫁に会うのは初めてで、何だかこそばゆい感じだった。彼女は、私が弘前の店で迷いながら選んで送った、マタニティ一用のパンツ・ブラウスを身につけていた。とてもよく似合っていた。何段もの階段を上る姿に大丈夫だろうかと心配したが、何事もなくほっとした。お腹の出具合を競っているかのような長男も、もうすぐパパになるのだと思うと不思議でならなかった。
 二台の車が連なって奈良、三重両県境の深い山々の道路を走り抜け、森を抜けた所にやっと私たちの宿である香肌温泉郷ホテル「スメール」がみえてきた。
 温泉にゆっくりつかり、いよいよ食事の時間。家族水入らずでゆっくり過ごせるようにと別室を用意してもらっていた。浴衣姿で部屋に入ると、長男が作成してきたらしい張り紙六枚が目に飛び込んできた。「祝結婚三〇周年」と書かれていた。児童養護施設で働く長男がちょっとおどけながら、「只今から安藤房治さんと晴美さんの結婚三十周年を祝う会を始めます」と司会をつとめ、会が始まった。初めに、嫁がわざわざ長野から持ってきてくれたかわいい花篭をプレゼントしてくれた。みんなの粋な計らいに胸がきゅんとする。「二人から挨拶をお願いします」と言われ、夫私の順にお礼を述べた。息子の結婚式の時は夫の挨拶のことや何やら心配であまりウルウルしなかったのに、今回のその時は思ってもいなかった展開に胸が一杯になり言葉がつまってしまった。
 こうして元気にたくましく育った子ども達に囲まれ、夫婦そろって結婚三十年を迎えられたことが何より嬉しかった。二男の乾杯の音頭で始まった宴会は、日頃あまり口にすることができない松坂牛のしゃぶしゃぶを味わい、両親の血を引いた子ども達の飲みっぷりに感心しながら、楽しい時間が過ぎていった。そろそろお開きという時に、また司会役の長男が座をまとめみんなからのプレゼントタイムとなった。兄弟全員からは何とDVDプレイヤーが贈られた。テレビを録画したりするのに、最新の機能を発揮するらしい。この品物を買うのに年齢順に出す金額が決められたらしいが「みんな大変だったろうに」と一人心配した。
 みんなからその大きなプレゼントばかりでなく、他に長男夫婦からは、私が蒐集している「フクロウ」のプレゼント。黒い石でできた夫婦のフクロウで大変気品のあるものだった。二男からは、夫の地図好きを心得て「なるほど地図図鑑」のプレゼント。三男からは二人の写真が撮れるようにとデジタルカメラの三脚のプレゼント。四男からは、素敵な時を刻んでと、二人にそれぞれかわいい「置き時計」のプレゼント。そして、嫁のお母さんから預ってきたという、手作りの鞄もプレゼントされた。みんなで楽しく集まれるだけで幸せと思ってこの地に来たのに、思いがけないたくさんのプレゼントに感激し通しであった。
 翌日は、全員そろって伊勢神宮、志摩半島、二見ヶ浦の夫婦岩などを見学して回った。その後、子ども達と別れ、夫と二人南紀勝浦の休暇村に向かい、一泊し翌日、世界遺産でもある那智の滝と熊野古道のほんのさわりを味わって帰路に着いた。
 今回の楽しい旅を企画してくれた夫と、そして手作りのすてきな結婚三十周年を祝ってくれた子ども達に心から感謝をしたいと思う。そして今、三十年という時を重ねて得た幸せを心からかみしめている。
(『弘前民主文学』124、2005年12月15日)