平和を求めるつどい

25 4月

4月24日憲法9条つがる女性の会で「平和を求めるつどい」がヒロロの弘前市民文化ホールで開かれました。

広い会場を満席にできるかしらと少々不安でしたが、事務局の川越さんがこれで十分間に合うと思って準備したプログラム80枚も足りずに参加者全員に行き渡りませんでした。お手元に届けられなかった皆様ごめんなさい。

さて、前段のコーラス コール・アミーの「無伴奏女声合唱のための懐かしい日本の歌」より第一組曲の
ウサギのダンス、赤い靴、青い目の人形、港、月の砂漠、そして「この街で」。

女性の方々のコーラスの歌声は心に響くものがあり、特に最後の「この街で」はこの街でおじいさんおばあさんになっても一緒に生きていこうと街を愛し、人々を愛す気持ちがあふれた歌でした。お久しぶりにお会いする方々もメンバーにいらして再会を喜び合いました。

弾き語りで「死んだ男の残したものは」を歌って下さった弘前オペラの井上よし子さんの歌声は、ずしんと訴えるものがありました。
戦争とは何もかも失いむなしさだけが残るものと切々と訴える内容でした。アルトの井上さんならではの迫力でした。

こちらはリハーサル時の井上よし子さん

佐藤きむさん(元弘前大学教育学部助教授)は、山脈よ永遠に青かれー「あたらしい憲法のはなし」に支えられて70年ーと題して講演されました。

85歳になられる佐藤きむさんのお話は、ちょうど桜祭りの最中にふさわしく観桜会の話しから入られました。
今年100周年を迎える観桜会ですが戦前戦後3年間中断され、戦争が終わって1947年から再開された観桜会に市民は心から喜び勇んで公園に出向いたこと。とびっきりのおしゃれをして。きむさんのお姉さんが空襲で足にやけどを負い足が出るスカートは履きたがらなかったけれど、この時初めてタイツに自分で作ったワンピースを着て出かけた姉のことが忘れられないと。そして、その姉がきむさんに「あなたは運がいい」というのだそうです。きむさんは青森空襲で怖い目にあったが姉が盾になってくれて焼夷弾から守ってくれたことを今でも感謝しているのです。

生涯で一番つらかったことはと聞かれれば、あの青森大空襲で逃げ惑ったことだと。そして一番うれしかったことは終戦を迎え戦争におびえなくて済むのだと思ったことだとおっしゃられました。

空襲で逃げ惑う苦しい夢は、結婚して支えて下さる夫と愛するわが子ができ安堵の生活を迎える頃まで続いたとのお話でした。

今の中央高校当時の女学校(正式名はちがいました)に通っていた時代、新聞部に所属し帰郷した石坂洋二郎に寄稿をお願いしたところ快く応じて下さり、その時の原稿を紹介して下さいました。新しい民主主義の時代になったが日本はこの分野ではまだ子どもと一緒だから一生懸命築いて行かなくてはならない。(というような内容だったかと。)

そして、小説「青い山脈」は民主主義の実践編で、当時公民の教科書として配られた「新しい憲法のはなし」は、民主主義の基本編だと思うと。

戦争の被害国としてだけでなく、加害国としてしっかり戦争の実相を伝えていかなくてはならないとも。

いろいろな青の山々が連なって彩られる青い山をいつまでも残していかれるように平和を守ることの大切さを強調されました。

2 Replies to “平和を求めるつどい

  1. 平和のつどい、とてもよかったですね。佐藤先生のお話、どんなにか平和が大事なのか、心に残りました。佐藤先生の講演をまとめて写真も添えて印刷物にしようと川越さんと話しました。お手数ですが、このアドレスに写真を送信してくださいませんか。

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