ボランティア活動2日目は輪島市に伺いました。その前に共同支援センターへ。物資を車に詰め込みました。

私たちの使った車ではありませんが専用の車も準備されていました。
輪島に向かいます。
羽咋(はくい)市から1時間23分。

輪島の日本共産党鐙(あぶみ)史朗からお話をお聞きしました。鐙氏は昨年の一斉地方選挙で初当選し、直後に珠洲市で起きた6弱の地震の調査が初仕事だったと。元旦に起きた地震では大津波警報が出され住民は避難したいが、公民館は正月で開いていなかったそうです。仕方なくガラスを割って鍵を開けみな中に入ったのだそうです。40~49%が高齢者で若い人が帰ってきていたので水を汲んだり支援物資を運ぶのに助かったと。朝市火災での犠牲者は10人。地震直後レスキュー読んでも助けに行くことができなかった。朝市火災に消防団が集中したことによる。89歳の元市職員は次男(死亡)が覆いかぶさり助け出されたが寒さもありその後亡くなった。
解体作業は1班5人トラック2台、200班1000人体制つくったが作業員の泊まる場所がないなど問題多く。航空学園の量を工事の人に提供という事例も。仮設は85%つくらた。若い人たちは金沢に住んでいくのが現状。
23日には小泉進次郎が、30日には岸田首相が来る予定になっているが、復興遅れの現状に政治への怒り大きい。など現場ならではのお話を聞かせていただきました。

あぶみ市議と共に

これら3つの写真は輪島市役所(左上)での状況です。

輪島駅という名のバスターミナル。もともと電車が走っていたそうです。

ここで金沢に本店があるというゴーゴーカレーで昼食。


輪島朝市の焼け野原。ここで焼死した方たちが10人も。



町の状況を視察した後、2日目の活動地点となるマリンタウン第2団地の仮設住宅に来ました。
ここでも同じように一軒一軒訪ねて支援物資をお渡ししながらお話を聞きました。
漁師の方もおり、船は無事だったが海岸隆起のため船がつけられず漁に出れないと悔しがっておられました。
この仮設住宅は運動場だったことが分かります。

左は仮設住宅(ここは元々の地域の方々を固めて 右は海岸沿いに行ったところ。
住めるようにしていました。)

これは漁港です。

大変なことが起きていました。地震の際に4メートルも隆起したのです。堤防の白い部分は隆起した部分です。そのため、漁船が港に船をつけることができなくなり、今工事が進められていました。

海に浸かっていた部分がむき出しになています。

漁港から離れた海岸。波けしブロックも隆起しています。白い部分が海に浸かっていた部分。

手前は海でした。
これほど隆起が起きた大地震が発生したにもかかわらず、隣町に立つ志賀原発は廃炉にする方針は立ちません。今回の地震時停止中だったために原発事故にならなかったことは幸いだったが、もし動いていたらと思うとぞっとします。北陸電力は当初珠洲市に原発の建設計画を持ちましたが、住民の粘り強い反対運動で建設することができず、やむを得ず志賀町に建てたのです。珠洲市にあったら大変なことになっていたでしょう。住民の皆さんは本当にここに作らなくて良かったと胸をなでおろしているそうです。
地震列島のこの日本から原発や再処理工場は撤廃すべきです。
